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2013年9月16日 (月)

DVDあれこれ

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帰宅後、クリント・イーストウッドの「許されざる者」を観た。設定やら画面がほとんどそのままだった。いい意味で驚いた。登場人物の設定もほとんどそのままなのだが、誰が誘って誰が誘われて・・・という辺の設定が少し違っていた。原作においても、いったん銃を置いた主人公が、なぜまた行かなければならなかったのか・・・というその部分は、その必然性を実感できないまま。しかし、それがまたこの作品のテーマなのか。それも含めて許されないということなのか。ぐるぐる回っている。
続いて「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ラスト・サムライ」を観た。「パイレーツ・オブ・カリビアン」は文句なしの楽しめるエンターテインメントだったが、「ラスト・サムライ」は「許されざる者」2作と合わせ、共通する感慨を持たされた。アメリカの開拓時代における先住民族との関係。日本の黎明期における和人と蝦夷との関係。あるいは琉球もか。そして人と人とが争い、殺し合う関係。侍も蝦夷や琉球と同じことなのだろうか?(ことというよりもう少し違ういい表現がないだろうか?)切った切られたという時代に生きていたら、どんな気持ちだっただろうか。父親を亡くした息子の気持ち。息子を亡くした父親の気持ち。切腹する気持ち。介添えする気持ち。殺し合うことがよしとされない今の時代に生まれてよかったなと思う。でも、この時代でもよかったと思えないいろいろなこともある。一言では言い尽くせない。ひとつひとつのことにいろいろな視点がある。いろいろな視点があるが、しかし、本質は一つだろうと思う。じゃあ、その一つしかない本質を言え!と言われてもなんだがそれは言えない・・・・・・

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コメント

本質は、「命はひとつ」じゃない?

偉そうに、ごめんなさい。

「教訓Ⅰ」とも通ずるのでしょうか(*^-^)

近代文明と侍との関係が、倭人とアイヌ民族との関係や、アメリカを建国した人々と先住民族との関係とダブってみえた。そんなイメージを抱いた。「ラスト・サムライ」をDVDで見直して新たに想起したこと。

今、「世界史」という難しい本を、のつこつしながら読んでいるのですが、人類の歴史って、侵略者との戦いだなあと。
地続きの国の人たちはほんと大変な時代を長い間過ごしてきたようです。
アメリカ大陸、日本、北海道、つまり辺境の人たちは、突然違う価値観にさらされるということですね。

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