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2013年1月27日 (日)

音もなく少女は

ボストン・テラン著「音もなく少女は」田口俊樹訳(文春文庫)読了

先日「重たいくらい暗い」と書いたのは、この本のことで、その重さに耐えられなくなって吐いた弱音が先日のものだった。耳が聞こえなく生を受けたイヴをこれでもか、これでもかと不幸が襲う。心の平静や喜びがちょっと訪れたかと思った途端にまた不幸が襲う。その繰り返しの中で、読むだけでも耐えられない気持ちになっていた。しかし、彼女はそれに耐えたり、耐えられなかったりしながら、生き抜く。結末まで読んで初めてフーッと息を吐くことができたような気がするほど、息を止めて読んだ感がある。
私の知らない厳しさや不幸がこの世には存在する。
耳の聞こえない人の気持ちをわかったような気になっていたが、とんでもない間違いだった。私には、まだまだ理解などできていない。彼ら彼女らのおかれた世界。
アルジェリア人質事件で犠牲になった人々。彼らがおかれた状況もまた、私の経験や想像をはるかに超えた世界だ。ドアの陰に隠れているとき。トラックの下に身を潜めているとき。アルジェリア軍だと思って出て行ったらテロリストだったとき。乗せられた車が爆撃を受けたとき。必死でシュミレーションして、映像が浮かび怯えの感情と受けた痛みを想像するまではできるが、本当に痛みを感じるわけではない。
この世界から、暴力や憎しみ、怒りがなくなる日は来るのだろうか。
憎しみや怒りといった感情がおこること自体は、なくせないのではないかと個人的には思っている。少なくとも私の中には、喜怒哀楽は必ず存在し、それらを完全になくすことはできそうにない。しかし、なくせないとは思うが、心に生じたそれらの気持ちをコントロールすることはできそうな気がするし、コントロールしなければならないと思う。

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